沖縄音楽になくてはならない楽器といえば、三線。三味線に似た三線は沖縄の伝統楽器を代表するものであると同時に、広く沖縄の人達に親しまれている。三線は14〜15世紀頃、中国から伝来した。以後、琉歌の伴奏役からさらに磨きをかけて琉球古典音楽を創りだし、そこからさらに琉球舞踊や組踊を生み出した。その後、庶民にも広がり、沖縄民謡にとっても欠かせない楽器になった。1995年には、那覇市の戦後50周年記念イベントとして『天に響け、さんしん3000』が開催され、各人が持ち寄った三線3000丁の音色が、会場になった那覇市の奥武山陸上競技場に鳴り響いた。三線は主に棹、胴と3本の絃からできているが、各部分の名称は27にもおよぶ。棹には主に黒檀が、胴には桑や楠、イジュの木などが使われ、糸はテトロン製が多い。三線には胴の部分にヘビ皮を張ったもの、人工ヘビ皮を張ったもの、そして、空き缶でつくった缶カラ三線がある。が、音色はもちろん、本物のヘビ皮を張ったものが抜群にいい。ヘビ皮のものが透き通るような音色を出すのに比べ、缶カラ三線の音色はにぶい。缶カラ三線は主に若い初心者が練習用に買うのだそうだ。
「旅行には何ら支障はないはずだが…」などと、新雪の上に点々と続くキツネかイタチの小さな足跡を車窓に眺めながら、思う。列車は順調に進み、東滝川を出てまもなく、空知川を渡った。これから先、しばらくはこの川を車窓の友として、列車は根室本線をたどってゆく。川を渡りきると赤平の市街地が広がり、赤平に到着。ホームには、この駅がかつて石炭搬出で栄えた証しとして、1メートル近くもある大きな石炭の塊が展示されていたが、この時季は柏雪でわからない。住友赤平鉱の閉山から、すでに6年の歳月が流れている。ヤードには今も大きな構内灯がそびえているものの、どこか所在なそうだ。ふと3年前の旅の時、同じシートに乗り合わせた本州からの観光客に昔の炭鉱の盛況ぶりや廃坑の怪談話を聞かせていた、地元在住の婦人を思い出す。今日は、そんな話し好きの人もなく、列車はひっそりと赤平を発車。大きな荷物を背負って下車した老人が1人、さびれたホームを歩き去る姿が心に残った。
自分の家ではスリッパをはく習慣のある東南アジアの人々でも、ホテルだけはアメリカやヨーロッパの真似をして、スリッパは常備していない。もちろん、ヨーロこハに行くとスリッパは見たくともホテルでは見られない。ではヨーロッパの人はどうしているかというと、ハダシで絨毯の上を歩きまわる。夜になるとベッドの脇に白い枕カバーのような布地を敷いているが、あれは濡れ左足や汚れ左足を拭くためのものであろう。ハダシでバスルームに行って冷たいタイルを踏むのでは気持ちが悪かろうと思うのだが、西洋人はなれているのか、別に何とも思わないようである。もっともイタリアやスイスの有名な靴店に行くと、どこでも革製の立派なスリッパを売っている。ちゃんと袋に入れて持ち歩きのできる旅行用のスリッパも売っている。あれを見ると、西洋人の中にも旅行に行く時に、スリッパを持ち歩く人があることがわかる。私はあのスリッパを必ずバッグの中に入れて歩く。飛行機の中でも、十時間も十五時間も乗っている時はスリッパに履きかえた方がずっと楽だからである。あわてて飛行場に駆けつけて、スリとハを忘れたことに気がついた時は、仕方がないから飛行場の売店で千円のビニール製を買うことにしている。